社長ブログ2019年08月12日

命をいただく

    子供がしゃべれるようになると、食事の時にまず教えたのが「いただきます」の意味でした。食べ物として目の前に出された食材は、もともと生き物であり、その命を奪い人が生きていく糧として食べることへの感謝を込めた言葉であることを教えました。その後、起業して間のなくの頃、東京から来たお客様を厚田漁港の朝市にお連れしたことがあります。その時、「小林さん、ここで売られている魚はいつから食べ物になるのでしょうね?」と質問され、上手く答えられなかったことがありました。水揚げされる直前までは海の中を泳ぎまわっていた「魚」としての「生き物」が、水揚げされて「商品(食べ物)」として陳列されているとはいえ、まだ生きている状態です。「生き物」か?「食べ物」か?人が生き物として生きていくためにはどうでもいいことかも知れませんが、改めて食事の前に「(命を)いただきます」と言う都度、考えさせられるテーマです。

 水産系の大学を卒業した私が最初に就職したのが、食肉関係の会社でした。豚の飼育からハム・ソーセージの加工までを実習で経験させていただきました。その時の一番の経験が屠殺場の見学です。生きた魚がさばかれる様は、漁師の家庭で育った私には日常でしたが、四足動物がさばかれるのを見たのは、勿論初めてでした。そして、30数年の時が経ち、今年に入ってから「ジビエ」に関する仕事と鶏の処理工場の仕事が舞い込んできました。野生の鹿の処理工場と生きた鶏を食べ物としての鶏肉に処理する工場の衛生管理のコンサルを引き受けることになったのです。因果なもので、まさにさっきまで山を駆けていた鹿や「コケコッコー」と鳴いていた鶏が、食べ物になっていく様をまざまざと目の前で経験させてもらっています。

 そして今、日々の仕事の中で考えるのは、生き物の命をいただくことで、食べた人の命が奪われたり危機にさらされることが絶対にあってはならないということです。でないと、食べ物に変わった生き物たちがうかばれませんよね。そのためにも、当社の仕事があるのだと改めて考える次第です。

この記事を書いた人:小林樹夫

所属:代表取締役 担当:皆の社長(笑)

小樽の漁師町の生まれ
人生の前半を小樽、函館で過ごし、酸いも甘いも色々経験(笑)後半の人生は、死ぬまで札幌で修行の予定。
さていよいよ50代最後の1年、来年は折り返しの年です。頑固でありながらも、いつまでも柔軟な感性を失わない、しなやかな社長=親父=おやじを目指してます❗